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2010

10/04

Mon.

同志社の8月13日 

37年前の8月13日。
その日の午後の気温は38℃を優に超えていた。
ひとりの学生がラグビーの基礎練習中に(おそらく)熱中症を発症し、
グラウンドの片隅で亡くなっていたところを翌朝発見された。
亡くなった学生のお名前は、鳥養敬一さんとおっしゃる。
誤りがなければ当時1回生で、
国体大阪代表のCTBを務められた方だったということだ。
計算すると、私と同年代になる。

学生が多感であることはいつの時代も変わらない。
心のシェルターはおろか、クッションさえもお粗末なのが若者である。
部員たち当時の学生にとって、仲間の事故は大きな衝撃であったろう。
地震後の津波に寄せ波と引き波があるように、
事故の発生に受けた大きな寄せ波のあとは、
仲間を突然に喪失した不条理な現実を受け容れざるを得ない、
遣り場のない悔しさと怒り、遣る瀬ない無力感の引き波に
ずいぶん長く苦しめられたことだろう。




この事件は事故として処理され、同志社大学ラグビー部はその年の公式戦を辞退した。
果たしてその年の学生たち、特に4回生の思いはどうだったのだろうかと想像する。
ラグビーで結ばれていた故人と他の部員たちを想うと、
彼らにしかできない故人への弔い、あるいは残された者への癒しの方法が、
別途成立し得たのではないかと思わないでもない。
もちろんこの思いは、当時の判断について今更云々しているのではない。
ただ、事故の陰におられた人々の気持ちに少しの想いを馳せているのだ。

若いラグビー選手がもっとも得意とする表現手段は、おそらくラグビーであろうと思う。
先輩や同級生の学生たちが、16人目の選手の故人を感じながらラグビー試合を闘い、
遺族や関係者はグラウンドに故人の姿を見、その姿を追う。
試合という、学生たちにしか成し得ない弔いと癒し。
社会経験を十分に経たおとなの百万言よりも、
往々にして雄弁で力強く、優しく、なによりも人の魂にとって根源的なもの。
この年の学生たちが己を表現の途を絶たれた結果、
今なお自分の一部が「あの時、あの場所」に留まっている、
そんな方もおられるかも知れない。



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今年の8月13日、
かつて大学の練習グラウンドがあったという岩倉を気ままに訪ねた
たまたま妻が岩倉出身なので地理を訊ねてみたが、
遠い記憶の引き出しから出してくれるものは錆びついていて、
参考にならないものばかりなのは無理からぬことだった。

取り敢えず京都へ向かい、取り敢えず岩倉の駅を出た。
同志社小学校校地の広さに驚きを覚えながら迂回して進むと、
まさに妻の記憶から抜け出たかのような、
錆びたラグビーゴールの立つグラウンドが右手に見えてきた。
その場がこの場であるのかどうか、もちろん私には分からない。
グラウンドには校舎と隔てる生垣があり、
入り口を入ってすぐ右手に、その生垣の切れ目がある。
広いグラウンドにはぱらぱらと生徒の姿があったが、
不審さと気恥かしさを隠せて、ひっそりと手を合わせられる物陰を求めて、
私はその切れ目の裏側に回った。

そこで目に入ったのが、夏枯れした草叢の中の鮮やかな紫の花である。
切り花なのは明らかで、どなたかが、理由があってそこに置かれたものだ。
誰かを偲ぶものなのか、それとも学校生活の必要からたまたま置かれたものなのか、
それは分からない。
分からないが、心に焼きつく可憐さと嬉しさではあった。




帰路、照り返しの強いアスファルトを歩きながら、
子を亡くすことについて考えざるを得なかった。

朝、ふたりの娘の外出を見送って、それが帰って来ないところを想像した。
想像は簡単であったが、たちまち立ち直れないかと思われる絶望と恐怖に襲われて、
「今日も娘は無事に帰って来るだろう」と慌てて思い直した。
事実、幸いなことに、その日もそして今も、娘たちは無事に帰ってくる。

ところが決して、故人のご両親は違う。
今日も明日も、わが子が帰ってくることはない。
「帰ってくるかも」と思ったとて、帰ってくることはない。
どうしようもない「帰って来ない」現実が容赦なく襲いかかり、
それは37年間、ずっとそうだったのだ。

年月が経ち、忘却が心を癒すこともある。
しかし、親は子を忘却する一瞬の自分を許せなかったろう。
「自分だけでも、あいつを覚えていてやらなくてどうする」
それが親というものである。

伝聞ではあるが故人のご両親は愛息のご遺体を前に、
「息子は憧れの先生の下、同志社でラグビーができ、
好きなラグビーをしながら死んだことに満足していると思います」
と述べられたという。また、
「今後、事故が起きた時の保険制度を作る元手として役立てて欲しい」
と相当の寄付をされたと聞く。

私は遠くに父を亡くし、母も相当衰えを感じさせる歳になった。
故人は私と同年代である。
故人のご両親も、相当にお歳を召されたに違いない。
そう遠くない時季、天寿を全うして自然に還られるとき、
長く長く続いた喪失感から解き放たれ、
生命の悠久の歴史からすればほんの一瞬、
一足先に息子が還った安住の地で、
息子とともに、この星の愛に包まれるのだ。
私は理由もなく、また意味もなく、
おふたりと故人、さらに多くの人間、また多くの物事に、
「ありがとうございます」と言いたい。

照り返しに蒸すアスファルトを、
高校生のお嬢さんたちが懸命にランニングで駆けて行く。
37年前のこの日も、学生たちは懸命にグラウンドを駆けていた。

さちありて なほそのさきも さちあれかし。
二度と同じ不幸を繰り返してはならない。
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Posted on 12:34 [edit]

category: 同志社ラグビー

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